SFとノスタルジー。
今、サラ・ピンスカーを読んでいる。
本屋で見つけて、フィリップKディックとル・グウィンの名前を負わされていた。
一話目だけ試しにその場で読んでみて。
近未来。義手の指先で文字が読める発想を未来だと思った。脳に直結してしまえば、指が視覚になる。確かなSF。
そして、取りつけた義手は同時にどこか遠いところのハイウェイなのだという。ハイウェイの意識が義手を通じて伝わってくる。
うん。これはすごい。
正しく伝統的なSF小説。
私はSF小説に何を求めているんだろう。
ノスタルジー。喪われていくものへの未練。未来において。
いつも、未来に身を置いて感じるのは郷愁という矛盾。でも、私が読んできたSFは多くがそうで、人気作くらいしか読んでいないんだから、SFに求められているのはそれなのでは?
レイ・ブラッドベリとか、シオドア・スタージョンとか。
夏への扉が好きだった。アシモフが好きだった。スピルバーグも?
そういうハッピーなSFなら好きだけど……って言いながら読んだ陰鬱なSFの短編が苦手だった。……でも、あの頃苦手だったそれも今はThe SFだって感じる。好き。
モリコーネ
原題はエンニオで、邦題はモリコーネ。
やっぱり日本人は苗字で認識するよね……と少し面白く感じ。
ひたすらモリコーネを褒める人々と、モリコーネの作品をコラージュしていくような映画なのだけれど、言葉のリンクを上手く繋いでいったり編集が上手くて。
全編通して流れるモリコーネの音楽に聴き惚れるし、意外と長いのに、気にならなかった。
私はモリコーネといえば、トルナトーレ監督だったんだけれど、むしろ新人だったトルナトーレにベテランのモリコーネが音楽を担当してくれて……と言うことで、トルナトーレの本人映像も思いの外若くてびっくりだった。
それにしても、作中、どこでニュー・シネマ・パラダイスが出てくるのかと待ち焦がれ、海の上のピアニストの一番好きなシーンがピックアップされ(やっぱりそれは肝のシーンなんだね〜!!!)、1900がタラップを降りかけるシーンとモリコーネがアカデミー賞の会場を歩く姿がリンクされたかと思うと、さらにそこから911に繋がったのには驚いた。
ラストエンペラーの受賞に、モリコーネの受賞が妨げられた年もあって、坂本龍一も好きなのでそこはうぐぐ。
しかし戦場のメリークリスマスではなくラストエンペラーで獲っているあたりが、アカデミー賞も直木賞かよ的な。
まあ、一つだけを選ぶとなると、どうしても色々あるな。
マグリット 2015.09.01
スリジャヤワルダナプラコッテ、とか覚えて得意になるような年の頃、シュールレアリズムなんて聞くとやっぱりときめいた。お手軽な年頃の話だ。
ルネ・マグリットを好きになるのは誰にも簡単なことだろう。わかりやすく、面白い。トンチが利いていて、美しい。すこし底意地が悪い。放っておいてくれても好きになったろう。多分気に入ったはずだ。
でも、あの子が先に「マグリットの空の色が好き」と言った。じゃあ仕方ない。
後ろから覗き込んだ美術の資料集には、荒天をそこだけ青空に切り取って飛ぶ鳥。
「どう?」ってあの子が訊いた。
目をそらして、白旗を上げる。
「うん。すごく好き」
記憶の扉の好きなシーンの真似
同一平面上の2つの直線は、いつかある一点で必ずめぐり合う。
この想像上の交点を永遠に永遠に遠ざけることで、2直線は限りなく平行に近づく。
また、ある曲線に対して、先へ進めば進むほどに互いの距離が0 に近づく直線を漸近線という。
曲線へと無限に近づく漸近線は、それゆえに曲線と交わることが永遠に否定される。
限りなく近づくことで永遠に遠ざかる。
LBJのMJ 2019.03.14
15才の時に彼は初めて、生身の神様に会ったんだという。
その人はそれまで、ポスターやテレビの向こうの存在だった。運が良ければバスケカードで出てくることもあって、そんな時は熱狂した。
仲間たちとは毎日毎日その人の話ばかり。みんなでCMソングを口ずさんだ帰り道。"I wanna be〜, I wanna be like Mike〜"
生身のその人が地続きの世界で生きているなんて想像に浮かばないくらい、イデアのように。いつも遠くから見ていた。
圧倒的な光。純粋な憧れ。カミサマ。
その日与えられたはじめの4本のフリースローをことごとく外して、元々トッププレーヤーにしてはひどいFT%が今年は更にひどいんだけど、それにしたってなんなの……と見ていて苦笑いした。
記録まであと14ptで始まった試合で、わざと記録達成を遅らせているの? って冗談交じりで思うくらい。
でも14点じゃあよっぽどのことでもなきゃ記録を達成してしまうことは目に見えていた。メディアもファンも今日だなって確信していた。いっそ当然すぎて、太陽が予想時刻に東から昇るのを見る気分で。
まさか、本人には全然ちがうんだって、そのときはわかってなかった。
生涯得点史上5位だった彼が、4位だったその人の記録を捉え、追い越したその日。
今季は既に6位のノビツキーを超えて5位のチェンバレンを超えていて、その時々に求められるインタビューでは先達へのリスペクトと感慨を真面目に語っていたけれど、ごく淡々としたものに見えていた。だからその日も、彼が彼であれば当然たどることになる道筋でしかないと油断していたのに、記録達成後のタイムアウトのベンチで、彼は深く深く俯いてタオルで完全に顔を覆って汗を拭うふりをしていた。
いや、もちろん汗も拭ってはいたんだけど、それだけじゃないのがわかった。吃驚した。
そうなのか。今日、泣くのか。
史上最高の選手だと讃えられ、本人にだって自覚も自信もあるだろうに、でも信じられないクレイジーなことだと試合後のインタビューで彼は話した。
こんなところに今いる自分を、子どもだった自分の目で呆然と眺めているようだった。
マイケル・ジョーダンに感謝している、という。多分ジョーダン本人にも想像できないほど感謝しているのだと言う。
彼はその日、あの日々の神様に再会したのかな?
今はきっと、あなたが誰かのカミサマになっているんだよ。
初盆
初盆。
とかいってみても、二人とも違う宗教だしな。っていうか、私にいたっては無宗教。
帰って来るときはちゃんと教えてくださいよ!ってこの間会った時に文句をつけたら、「面倒くさいしどうしようかなって思って〜」ってニヤニヤするからそういうの本当にヒドイって責めて、次はちゃんと連絡するって約束してもらった。
でも信じてもいないのに、初盆だなんだを思ってみて、迎え火も焚かないくせに、それはどっちかにしろよって話なんだけど。まあ……信じないな。そしてどっちにしても、やっぱり面倒くさいって帰ってこないんでしょう?って決めつける。
でも本当は嘘。どうせ無頼になれず、身内のところには律儀に顔を出すタイプ。
そういえば途中になっていた件で、ちょっとだけ報告したいことができたんだけどな。