嫌いつながり

村上春樹の小説は微妙に嫌い寄りで(たまに面白いと思うけれども)総体的に不快に近いイメージなんだけど、エッセイは面白い。

彼が(概ね)ジャズについて書いたエッセイを読んでいて、外国人奏者については知らないのでただただ村上春樹視点の彼らを読んでフムフムと偏見を貼りつけたり、単に読み物として楽しむんだけれど、スガシカオを取り上げた章があった。

村上春樹はJPOPがほとんど肌に合わないのだが(どれもこれも「リズムのある歌謡曲」にしか感じられないらしい。私にはそれが意味するところがわからない)スガシカオだけは麻薬的にクセになる良さなのだという。

他の章より、音楽の話というより歌詞の解析がされているそのエッセイを読んで、村上春樹が評価するスガシカオの歌詞に通底するぬめるダルい手触りの主人公の倦怠感こそがまさしく私の嫌いな村上春樹小説の雰囲気であることに胸が悪くなる。

私はスガシカオの曲で好きなのはあるけれども、でもスガシカオ自体がとても嫌いだ。理由はもう忘れたけれど、なんとなく嫌いな人間だと思感じて以来、名前を見るとなんとなくムカつきを覚える。

私の神経に障る、一貫性のある何か不快要素と言えるものが、そこに存在しそうだというところを面白く感じた。